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聶双江は、陽明学帰寂派のもとを形作った人物である。また、異民族の侵略を防ぎ、善政を敷いた政治家でもある。その生涯の思索と政治の実践や著作を通じて、辿り着いた思想を探る。
目 次
ま え が き 一
解 説 一三
一 聶双江の思想 一三
一・一 帰寂思想とは 一三
一・二 陽明門下の聶双江批判 一四
一・三 聶双江の反論 一九
一・四 自得の学 二四
一・五 帰寂思想の系譜 二六
一・六 聶双江と朱子学 二九
二 聶双江の生涯 三五
二・一 生誕~三十三歳 若き日の聶双江 三五
二・二 三十四歳~四十五歳 王陽明に学び、 その後入門 三八
二・三 四十五歳~五十五歳 帰寂思想の形成 四五
二・四 五十五歳~五十七歳 平陽知府としての活躍 四六
二・五 五十七歳~六十四歳 獄中体験 四九
二・六 六十五歳~六十九歳 兵部尚書として奮闘 五二
二・七 六十九歳~七十七歳 郷里での最晩年 五六
本 文 五七
『困弁録』自序 五七
〇『困弁録』自序 ~困難な状況下にあっても心を養うことを怠らない~ 五七
『困弁録』弁中 六三
〇『困弁録』弁中(1)~「允にその中を執れ」に心学の淵源がある~ 六三
〇『困弁録』弁中(2)~「未発の中」は天下の大根本~ 六八
〇『困弁録』弁中(3)~朱子の言葉Ⅰ~ 七五
〇『困弁録』弁中(4)~朱子の言葉Ⅱ~ 七七
〇『困弁録』弁中(5)~朱子の言葉Ⅲ~ 七九
〇『困弁録』弁中(6)~静中体認・平日涵養~ 八三
王龍渓への書簡 八六
〇王龍渓への書簡(1)~良知現成論への反論~ 八六
〇王龍渓への書簡(2)~羅念庵の学~ 九四
『致知議略』 一〇一
〇『致知議略』(1)~「先天の学」「後天の学」とは~ 一〇一
〇『致知議略』(2)~先後内外の説~ 一〇七
〇『致知議略』(3)~王龍渓の説は中人以下の及ぶ所に非ず~ 一一一
欧陽南野への書簡 一一四
○欧陽南野への書簡(1)~立本の学~ 一一四
○欧陽南野への書簡(2)~内外・動静・先後は一体である~ 一二〇
○欧陽南野への書簡(3)~本体・工夫・効験は一体ではない~ 一二三
○欧陽南野への書簡(4)~大河の源泉はどこにあるのか~ 一二六
鄒東廓への書簡 一二八
〇鄒東廓への書簡(1)~天下の感はみな寂より生ず~ 一二八
〇鄒東廓への書簡(2)~帰寂思想に対する批判への反論~ 一三四
〇鄒東廓への書簡(3)~顕微動静内外を貫いて一体とす~ 一四三
陳明水への書簡 一四八
〇陳明水への書簡(1)~独はすなわちこれ未発の中~ 一四八
〇陳明水への書簡(2)~聶双江の「格物致知」解釈~ 一五二
〇陳明水への書簡(3)~義を精にして神に入る~ 一五九
『白沙先生緒言』序 一六二
〇『白沙先生緒言』序 ~陳白沙は周濂渓・二程子の絶学を継ぐものである~ 一六二
『大学古本臆説』序 一六九
○『大学古本臆説』序 ~帰寂思想の確立~ 一六九
王陽明への書簡 一七二
〇王陽明への書簡(1)~仕うるは即ち学なり、 学は即ち仕うるなり~ 一七三
〇王陽明への書簡(2)~良知の用は孝弟より切なるものあるなし~ 一七九
原 文 一八五
主要参考文献 一九七
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